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震災から20年

震災 記憶 美術

多彩な表現手法で、震災に向き合い、格闘する

 昨年12月16日から神戸のBBプラザ美術館で「震災から20年 震災 記憶 美術」展が開催されている。

 被災者の一人である私は、なぜか足を運ぶ気になれなかった。当時のことをあまり思いだしたくない、という気持ちが半分。そして震災をテーマにした作品に暗いイメージしかもてず、作品をみても気持ちが沈むのでは、という危惧の念が半分という理由からだ。

 1月の下旬、私たちが作っているフリーペーパー「yurari」設置の誘いをBBプラザ美術館の学芸員の方からいただき、バックナンバーを含めて持参した。そのときに学芸員の方から、「展覧会をご覧になられませんか?」と声をかけられ、それならと会場に足を踏み入れた。

 

 決して広くはない展覧会場であるが、作品群たちはそれぞれ平面、立体、書、写真、インスタレーションと多彩に伸びやかな表情を見せていた。榎忠、西田眞人、堀尾貞治、WAKKUNをはじめ有名作家たちが、それぞれ震災20年を見つめ直し、その思いを形にしていた。

 

 人間は本来、嫌な記憶はなるべく忘れたいと思うものだ。戦争体験者が理不尽で絶望的な状況下で起きた悲惨な出来事をあまり語りたがらない気持ちもよくわかる。傷口にせっかくできた瘡蓋をはがすのは辛いことだ。

 でも時には、どうしても向き合わなければならない時がある。日本は地震列島であり、過去に何度も甚大な被害と多くの犠牲者を出してきた。そして将来も起こるであろう巨大地震に立ち向かわねばならない。そのためにも、過去の辛い記憶を風化させず、思い起こし、今後の災害に生かさねばならない。

 また、個人にとっても時には震災の記憶を甦らせることで、日常生活の中で生じる様々な雑居物が濾過され、本当に大切なものだけが透けてみえてくることがある。

 

 そんなことを考えながら作品を見て回った。13人と1組の作家たちによる多彩な作品から震災犠牲者と神戸のまちへの沈魂の想いや、震災に負けまいとする強い意志のようなものを感じた。

 

 小巻和芳+あさうみまゆみ+夜間工房『掃き清められた余白から2014』は、ミシン、机、柱時計、洗濯ピンチなどがある部屋の日常風景と、外にある瓦礫の非日常的風景の対比が見る者に強烈な印象を残す。神戸ビエンナーレ2007年の作品を再現したものだが、コンテナ内での展示よりも今回の方が、遥かに印象度が強い。それは展示空間全体が支配しているピンと張りつめた空気によるものだ。

 

 栃原敏子『助けを求める人』は、必死に助けようとする人と、助けを求める人とが対になった作品である。当時の現場にいた人たちの必死さ、悲痛な思いが伝わってくる。

 

 金月しょう子『閉ざされた時』。この作品の説明は必要ないだろう。右のボックスの中にあるのは、地震計の象徴なのだろうか。暗いモノトーンの箱に閉じこめることで、逆にいつでも開けさえすれば当時の記憶を鮮明に覚醒させることができる。

 

 堀尾貞治『震災風景』は、BBプラザを入ってすぐ左手にある誰でも見ることができるスペースに展示されている。素早いタッチで描かれた震災当時の数多くの風景が圧倒的迫力で迫ってくる。悲惨な風景であるにも関わらず、地震の凄まじさと同時に、復興に賭ける人間のエネルギーをも感じさせるから不思議だ。

 

 榎忠『珪化木』。珪化木とは、樹木が地中に埋没し、珪化した化石のことであり、石炭と同じように地球のエネルギーによって気が遠くなるほど長い年月をかけて作られるものだ。この珪化木と一緒に詩が書かれた紙片が貼られている。

 

 川が山をはこぶ

 海が海をつくり 海が雲をつくり 人が海をこわす

 山が山をつくり 雲が水をつくり 人が山をこわす

 人が人をつくり 水が川をつくり 人が空をこわす

 

 震災は、人がこわした海、山、空からの逆襲だったのか。人と自然とのつきあい方に、今一度、真剣に向き合う必要があると言いたかったのだろうか。あなたも考えてほしい。

 

 ここで紹介した作品は、ほんの一例である。震災から20年。これを機にあの震災に再び向き合うよい機会だと思う。ぜひ足を運んでいただきたい。(2015.2.9)

開催期間:2014.12/16(火)〜2015.3/8(日)

開催時間:午前10時〜午後6時(入館は午後5時30分まで)

休館日: 月曜日(祝日の場合は翌火曜日)

入館料: 一般400円、大学生以下無料

 

BBプラザ美術館

神戸市灘区岩屋中町4-2-7 BBプラザ2F

  • 阪神岩屋駅改札を出てすぐ南側

  • JR灘駅より南へ徒歩約3分

  • 阪急王寺公園駅より南へ徒歩10分

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