波止場通信
KOBE CULTURE AND ART
古代遺跡、地下都市、奇岩風景、モスクを見て回る「トルコ周遊9日間」
2018年8月29日(水)〜9月/6日(木) 7泊9日
長男も次男もとっくに体験し、「ええとこやったで。早く行きや」と聞かされていたトルコ旅行をやっと実現できた。トルコといえば、親日国で、物価も安いし、トロイやエフェソス、ヒエラポリス、の古代遺跡、カイマルクの地下都市、カッパドキアの奇岩風景、ブルーモスク、アヤソフィア、トプカビ宮殿など見所もたくさん。広大な土地を時間をかけてバスで回ってきた。
(旅行から1年半後の2020年2月27日にHPに掲載)
トロイ
木馬で有名なトロイ遺跡へ。
9層の都市遺跡が重なっていた
広いトロイ遺跡をガイドの案内付きで見学する。ありました。トロイの木馬が。もちろん、観光用に造られたものだ。階段を上がれば、兵士が隠れていた部屋に入れる。
トロイの木馬は、紀元前1200年頃、ギリシャとトロイが10年間ほど戦ったトロイ戦争を扱ったホメロスの「イーリヤス」に出てくる話だ。ドイツ人のシュリーマンが発掘してトロイ遺跡が発見された訳だが、トロイ戦争の前かの紀元前3000年〜紀元前350年の間に、トロイはエーゲ海交易の中心として発展した都市であり、9層もの都市の遺跡が重なっている。深く掘るたびに、違う時代の都市層が現れる感じなのだろう。
ガイドのタネル氏によると、「トロイ戦争は、世界初の帝国主義戦争であった」ということだ。ガイドの説明がないと、ただの古代の石が多いな、くらいの感想しか持てなかっただろう。
気温は32度まで上がっている。遺跡には陽を遮るものはないから、やたらと暑い。ピスタチオ入りアイスクリームが、旨い!
海にせり出すウッドデッキが気分いい
トロイ遺跡見物後に泊まったアイワルクの「グランド・テミゼル・ホテル」。エーゲ海沿いに建つリゾートホテルで、水着姿の客も多い。裏にはプールと海水浴場もある。さらに海にはせり出す形で、桟橋のような見物用のテラスのようなウッドデッキがある。夜の砂浜を沖に進み、デッキまで足を伸ばす。エーゲ海の波が静かにひた寄せる中に佇んでいると、気分がいい。ホテルの料理はまずかったが、このウッドデッキで少し救われた気がしたものだ。
続発したテロで観光客が減少したトルコの悩み
基本的に農業国であるトルコは、建設業と観光業以外に、大きな産業がない。その観光業が4、5年前に相次ぐテロで大きな打撃を受けた。2015年6月〜2016年12月で11回ものテロが起こっている。テロは、対ISであり、対クルド人であり、その結果、欧米からの観光客が激減した。
だが、その後、トルコ政府は、治安回復に取り組み、この2、3年で徐々に回復してきたそうだ。観光地でライフル状をもった警察官の姿をよく見たが、それも安全上の対策なのだろう。
エフェソス
世界屈指のギリシャ・ローマ時代の遺跡
エフェソス遺跡は見所、満載!
トロイ遺跡よりはるかに広く、現存物が多く、保存状態がいい。私は知らなかったが、世界屈指のギリシャ・ローマ時代の遺跡として有名らしい。
実際、歩いていると、古代ギリシャやローマの街を歩いているような感慨に襲われる。ガイド氏によると、当時の推定人口は25万人。大劇場のスケールの大きさに度肝を抜かれる。2万5000人収容できるとか。奴隷がライオンと闘う競技も行われた。勝てば解放されるが、記録では2人しかいない。
この他にも、浴場、図書館、アゴラ市場などがあり、大理石の歩道もある。
面白いのは売春宿を示す印が道路にある。足型がそれで、宿のある向きを示すとともに、これより小さな足の人間は入場禁止だそうだ。
これほど広いにも、発掘されたのはまだ10分の1だとか。現在も、ユネスコの支援を受けて発掘を続けている。今後、さらに有名になるに違いない。
トロイ遺跡とエフェソス遺跡で気づいたことがある。両遺跡ともに、海岸線から遠いが、かつては港町であり、海運で栄えた都市であったということ。海沿いに都市が発展してきたが、時代が下るに従って、川から流れ込む土砂によって川下エリアが埋まってしまったために、結果的に海岸から遠ざかったというわけだ。
ケマル・アタチュルクの人気
エフェソス遺跡からパムッカレへ向かう途中、休憩所に停車。その一角の建物内に入ると、壁面にはケマル・アタチュルクの写真。彼は、トルコ共和国の初代大統領であり、トルコの父と呼ばれ、今も絶大な人気を誇っている。それはそうだろう。第一次世界大戦でドイツ側について敗戦国となったオスマン朝トルコ。列強諸国によって分割され、国が消滅の危機に陥ったところ、独立戦争を起こして国を救ったのがケマル・アタチュルクだった。さらに政教分離を実施し、トルコの近代化を実現したのである。
パムッカレ
泥温泉で体験した不思議な光景
今回のトルコ旅行のハイライトの一つが、トルコ有数の温泉保養地であるパムッカレである。有名な石灰棚は、世界遺産に登録されている。
午後6時頃着くサーマルホテルパムは、リゾートホテルタイプで、2種類のプールと石灰棚を模した泥温泉がある。
夕食後、さっそく水着に着替えて入る。最初は温水プール。さほど大きくなく手頃な広さ。ついで段々畑のような形をした露天風呂へ。すでに多くの人が入っている。顔や腕に泥を塗りたくっている人も多い。美容か健康のためなのだろう。夜空の下の泥温泉で、ホテルのプールを見下ろしながら、体を泥だけにしてゆらりと湯につかる。何とも不思議な光景だ。
2人で入っていると、ツアーで一緒だった保育士の女の子、モデル顔の娘たちもきた。さらに後で看護師3人娘もきた。私たちは、再度、下の温泉プールに入ってから、充実感に浸りながら部屋に戻る。
薄青と白が織りなす幻想的光景。
水着で温泉水に浸かるロシア女性たち
写真やテレビで何度も見たパムッカレの石灰棚へ。滑りやすいので、気をつけて歩く。一部、温泉水がないところもある。これは最近、マスコミ等でも指摘されていたが、現地で理由が分かった。あまりに有名になったパムッカレには、観光客目当てのホテル開発がラッシュが起きた。そのため、温泉が枯渇し始めたのだ。いまはホテルの新設は一切認められていないそうだ。
こうした残念な状況があるものの、まだ石灰棚の多くは温泉にみたされており、薄いブルーとホワイトが織りなす棚田状の温泉風景は幻想的という他ない。
ちなみに、石灰棚は決められた範囲であれば、歩いたり足湯を楽しむことができる。さらに水着で入ることもできるのだ。立派な体格のロシア人らしき女性が水着姿で歩き、温泉水に使っている姿を見かけたのだった。これまた不思議な光景であった。
古代遺跡が沈む珍しいパムッカレ温泉
パムッカレには、トルコには、10年以上前長男が旅行しているが、写真の中に、パムッカレ温泉で泳いでいる姿があった。その温泉に出くわした。プールの底には本物のギリシャ・ローマ時代の遺跡がゴロゴロしているそうで、何とも珍しい。水温は35℃前後。時簡に余裕があれば、入ってみたかった。
ヒエラポリス遺跡
ハドリアヌス帝が造った劇場の壮麗さ
パムッカレと隣接しているのがヒエラポリス遺跡だ。ベルガモン王国の聖なる都市遺跡らしいのだが、ベルガモン王国の名前は初めて聞く。
遠くからでもかすかに劇場の姿が見える。時間が15分間ほどしかないが、どうしてもまじかで見たいので急いで坂道を上がる。7分で到着。ローマ時代の劇場が壮麗な姿で現れる。収容人数1万5000人。時間があれば下まで降りたいのだが、断念して急いで帰る。
ちなみにこの劇場は、ハドリアヌス帝により2世紀に造られたものらしい。ハドリアヌス帝の遺跡はローマ帝国エリア内の至る所にある、まさらいローマ帝国の建築王というべき存在である。
ハチミツヨーグルト
ヨーグルトに芥子の実、はちみつ。なかなかうまい。
コンヤ
宗教都市・コンヤで
セマー(旋舞)の像に出くわす
グランドホテルコンヤに着く。シェラトン系ホテル。たぶん五つ星だろう。設備も豪華だ。そのロビーにセマーの像があり、紛れもなく、コンヤが、イスラム神秘主義の一派メヴレヴィー教団の発祥地であることが分かる。
セマーとは、旋舞のことであり、白い衣装を着た踊り手たちが、くるくると旋回しながら踊り、神の恵みに感謝して神と一体となる。トランス状態になる。
セマーについては、大学時代から「螺旋」をテーマにした本で存在を知っていた。また、2018年5月、京都国際写真際で動画を見ていた。何とも不思議な気分になったものだ。
回旋教団の博物館であるメヴラーナ博物館では、教団の人々の暮らしぶりをみることができる。実際にセマーを見ることができなかったのは残念だが、次回の楽しみに残しておこう。ただし、私は教団に入ることは200%ない。興味をもっているだけだ。
コンヤはある意味、トルコで一番の宗教都市であり、イスラム色が強く、保守的である。ちなみにガイドのタネル氏は、コンヤはトルコで一番嫌いな町だという。好きなのはイズミールらしい。
カッパドキア
カイマルクの地下都市で
一生を地下で暮らす人の気持ちは?
奇岩で有名なカッパドキアへ。広大なエリアの中で、最初にカイマルクの地下都市を訪れる。テレビ番組『世界不思議発見』で紹介されたところであり、興味津々だった。
凄い。何と地下8階建てで、地下4階まで旅行者に公開されている。一人しか通れない狭い通路をつかって部屋から空間から空間へ移動。台所、麦の貯蔵庫はもちろん、家畜小屋もある。つまり地下だけでクラスことができる機能をすべて備えている。
紀元前の時代から迫害から逃れたキリスト教徒が隠れて住んだと言われているが、詳細はわかっていない。一年中16度で意外と快適温度で暮らせるのかもしれないが、一生陽に当たらずに暮らすことが出来るのだろうか。目や骨への異常など、健康上での影響も考えられるし、精神的にもどうなんだろう。SF的空想が膨らむばかりである。
洞窟レストランで昼食
奥に進むと、中央の空間部分から八方に食事エリアが分かれ、さらに一番奥が高くなっている。たぶん夜は中央部分で、ショーが開催される、ショーレストランに変身するのではなかろうか。出てきた川ます料理は、あっさりしていて美味しかった。
洞窟住まいの家庭を訪問
娘2人と中学生の息子を持つ家庭を訪問する。たぶん3階に当たるフロアに入る。台所を過ぎて居間に通される。絨毯はお母さんが編むそうで、織り機もあった。床は傾斜がついていて、天井が低い。
昔は電気、水道もなく、不便な生活を強いられたようだ。今は洞窟から出てマンションに住むが人が増えている。そして洞窟はホテルやペンションに変りつつある。洞窟を売ればかなりの金額になるらしい。
3姉妹の岩。カッパドキアで最も有名な奇岩の一つらしい
カッパドキアで泊まったホテル「ダブルツリー バイ ヒルトン アヴァリス」。外観は、キャラバン隊の隊商宿の風情。
ウチヒサールにある奇岩風景。モンサンミッシェルの風情が漂う
翌朝、ホテルを出ると、バスから気球が浮かんでいるのを見つけた。値段は高いが、人気があるようだ
ジェルベの谷にはキノコ型の奇岩が多い
洞窟レストランで昼食。カッパドキアの奇岩群が眺められる絶好のロケーション
イスタンブール
ブルーモスク
スルタンアフメット・ジャーミィが正式な名称らしいが、長くて覚えにくい。ブルーモスクは、大きなドームとえんぴつ型のミナーレ(尖塔)をもつ、トルコを代表するイスラム寺院。6本のミナーレ、高さ43m、直径23.5mの大ドーム、4つの副ドーム、30の小ドームを持っているが、6本のミナーレをもつイスラム寺院は世界的にも珍しい。
アヤソフィア
ギリシャ正教の大本山として君臨し、ビザンティン建築の最高傑作と評されたアヤソフィア。後にイスラム寺院に姿を変えた。1931年にアメリカ人の調査隊によって壁の中のモザイク画が発見されて、初代大統領のアタチュルクが、翌年、ここを博物館として一般公開することを決めた。
グランドバザール
4400軒もの店が集積するグランバザールへ。迷路のような市場だが、コツを覚えれば大丈夫みたいだ。メインストリートとサブストリートを覚えて歩く。ときどき三叉路があり、そこからややこしくなる。エリア事に扱う商品が決まっているので、買い物をしやすいと思う。陶器やさんで小皿2個を20トルコリラ(400円)で購入する。
ベリーダンス
オプショナルツアーで「ベリーダンスディナーショー」に参加する。ホテルの近くのショーレストラン「スルタナス」へ。ベリーダンス2つ、民族舞踊2つの構成。映画などではよく見るが、実際に生でベリーダンスを見るのは初めてだ。2人のダンサーによるダンスをまじかで見たが、とくにエロチックなイメージはしない。まるでアスリートのように鍛えられた肉体を駆使して、情熱的に身体を揺らし続ける。時間も長く、体力も必要だ。
ヒルトンイスタンブール
トルコ旅行で一番豪華なホテルらしい。ロビーの至る所に、訪れた著名人の写真がフロントやロビーに飾られている。クラウディア・カルディナーレ、グレース・ケリー、カーク・ダグラス、モハメッド・アリ、バート・レイノルズ、ジャクリーヌ・ケネディ‥etc。フロンの後ろにも知っている顔が。
ボスポラス海峡クルーズ
オプショナルツアーで参加したボスポラス海峡クルーズ。朝から貸し切りの船に乗り込み船が進むと、新市街のランドマークとなっている高さ37mガラタ塔が姿を現す。
ボスポラス海峡クルーズを通じて展開するパノラマ風景
海峡から臨むブルーモスク
海峡に面して建つオルタキョイ・メジディエ・ジャーミィ。バロック様式の優美な姿が印象的なモスクだ
クルーズを終えて、スレイマニエ・モスクへ。オスマン帝国が最も繁栄した時代の君主スレイマン大帝がつくった寺院。
ボスポラス海峡入口のアジア側にある小島に建つ城塞「乙女の塔」。かつては灯台として使われたが、1999年に改装を済ませて、以来レストランとして使用されている。
トプカピ宮殿へ向かう途中で、ブルーモスクとアヤソフィアから、同時にアザーンが聞こえて来た。声は強く大きく、なかなかの迫力だ。なぜこの手のイスラム旋律に魅了されるのか、自分でも理解できないでいる。
トプカピ宮殿の入口。いつも観客客の列ができている。
トプカピ宮殿の門
トプカピ宮殿 ハーレム内にある皇帝の間
オルタキョイ
ボスポラス大橋のたもとにある一角。毎週日曜になると多くの露天で賑わう。
近辺散歩
新婚カップルの記念撮影に出くわす。ボスポラス海峡に面し、大橋近くのエリア。
オルタキョイ・メジディエ・ジャーミィ
こんなに明るい色彩のモスクには初めて出会う。宝塚のスターのような華やかさである。イスラムへのイメージが変りそうだ。
実は、このモスクを出たところで、小太りで黒っぽい服装の女性から声をかけられる
「フォト、フォト」と言っている。先ほど礼拝中の撮影を咎めているのだろうか? 返事に窮していると、「ジャポン?」と聞いてくる。「そうだ」と答えると、「アイラブジャポン」というジェスチャーをする。OK!と返事をして、私の連れ合いも一緒に写真に収まった。彼女たちは盛んに日本が好きだと繰り返し、ありがとうとお礼を述べる。初めての体験だった。