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プロローグ

神戸の下町ツアーに参加したとき、昼食に入ったインド料理店で、私の対面に座っていたのが、クリハラさんだった。初めて会った時から、バックパッカーの雰囲気が充満しており、いまの日本の閉塞感など蹴飛ばしてしまう逞しさを感じた。「続・ダラーガ通信」の「ぽれぽれ広場」の最初の人物にしようと勝手に決める。こちらの取材依頼を快諾していただき、おかげで3時間にも及ぶ楽しいインタビューとなった。

 

インタビュー

離婚を契機に、人生の意味を問い直す

━━━クリハラさんは、関東出身なんですね?

 生まれは東京・杉並で、育ちはほとんど埼玉です。東京でサラリーマン生活をしていて、転勤で神戸に来ました。そしてこっちで転職し、その後に独立しました。駐車場や不動産関係の仕事を自分でやって、いまに至っています。

━━━いつからバックパッカーというか、海外に出かけ始めたのですか?

 バックパッカーって、学生の頃にやっているのが当たり前なんですが、僕は全然やっていないんですよね。2004年にやっとパスポートを作りました。それが最初。

━━━パスポートをつくるきっかけが何かあったのですか?

 つくる前年に離婚をしています。それまでは家族をしょっているとか、責任とかもすごい感じて仕事をしていた。それがいったん離れると、オレ、なんのために仕事をしているのかとか、この仕事でこのままでいいのかとか、すごく考えた。前は、「家族のために働く」という意識があったけど、いまも養育費を払っていますけど、それとはまた別の次元で物事を考えたくなった。働くとは、何ぞやと、一から考えたくなった。

━━━それで海外へ出かけ始めた?

 独立してからですね。自分で時間をつくることができたから。「毎月どこかに行こうキャンペーン」を自分でつくった。このマイキャンペーンは、まる1年くらい続いたかな。韓国、台湾、インド、バングラデッシュ、ミャンマー、シンガポール、インドネシア、ネパールなどに行きました。

━━━すごい勢いですね

 でも時間がないからアジアしかいけない。長くても1週間から10日くらしか行けないから、旅に浸れない。しかも毎月行こうと思うと、帰ってきたら、もう来月どこに行こうかと。今の旅を総括する前に、次の旅行のことばかりに手をとられる。今までの自分の常識を疑って、洗いざらい出してみたら、このままでいいかなと考え、思い切って長い旅にでようと思った。1年間くらい行きたかったので、仕事をフェードアウトした。いまも会社はあるけど、何もしなくてもいい状態にしてあります。

 

8カ月間のユーラシア大陸横断旅行へ

━━━それで、彼女と一緒にユーラシア大陸へ出かけたのですね。旅行期間は?

 2010年の6月に出かけて、2011年2月に帰ってきました。8ヵ月間。

━━━ルートは?

 シルクロードから入っていくルートと、シベリア鉄道ルートのどちらにしようかと考えていましたが、結局、シベリア鉄道ルートにしました。まず日本の境港から船に乗り、韓国の東海を経由してウラジオストクまで。そこからシベリア鉄道に乗りモスクワまで。モスクワから、タリン。北欧は、フィンランドからスエーデン、ノルウェー、デンマーク。ドイツからポーランド、チェコ、オーストリア、再びドイツ、スイス、フランス、ロンドン、アイルランド、ロンドン、フランスに戻って、ベルギー、ルクセンブルグ、オランダ、フランス、スペイン、ポルトガル、スペインに戻って、モロッコ、スペイン、イタリア、バチカン市国、クロアチア、スロベニア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、アルバニア、マケドニアからトルコ。南に下って、シリア、ヨルダン、イスラエル。そこからヨルダン、シリア、トルコに戻って、イランから飛行機でインド。そこでなぜか値段が安いこともあって1ヵ月間インドにいた。そしてマレーシアまで飛行機でいって、マレー半島を北上して、バンコク、マニラ、そこから帰ってきた。時計と反対回り。

━━━1年の予定が、8ヵ月で帰ってきたのは?

 予算の問題です。ヨーロッパの物価が高くて。ユーロが150円くらいのとき、もう少し低かったかな。いまは100円くらい(2012年11月時点)。とくに北欧とスイスは税金が高い。消費税が30%ですからね。国の人は福祉に回されるからいいけど、旅人にはきついですね。

 

体験した、トルコとモスクワでのトラブル

━━━旅を終えて感じたことは?

 人の親切かな。全然コトバは通じないところなんですけど、ちょっと地図を開いたら、すぐに教えてくれる。中東なんかはそれが普通で、バス代や電車代を払ってくれたりする。シリアなんか、いまは内戦で大変ですけど、人に親切にするのは当たり前。イランもそうだった。日本人が認識している中東やイスラム圏が、危ないとか、戦争、紛争とかのイメージとは全然違うイメージを現地で感じた。

━━━危ない目にあったりはしなかった?

 首締め強盗とか、覚悟していたんですけど。全然あわずにすんだ。もっと何かあってもおかしくない。

━━━トラブルも全然なかった?

 思い出せば、なくはない(笑)。シリアからトルコに戻って、有名なカッパドキアに行こうと思って、チケット売場で「このバスに乗れば大丈夫だ」と言われて乗った。寒い時期で、気温は零度だった。夜の10時を過ぎ、外が真っ暗闇の中で、運転手から「ここが一番近いところだ」と言われて、リュックを外に投げられた。どこだかまったく分からない。カッパドキアまでどのくらいかかるかも分からない。GPSも使えない状態だったので、これは困った。荷物を彼女のところに置いて、様子を聞いてみるからと道路づたいに歩き、最初に会った奴に声をかけようと思ってたけど、全然誰にも会わない。初めて人がいたので、声をかけたら、ライフル銃をもっている人だった。こっちに来いと言われて行ったら、軍の兵士だった。「入れ」と言われ、軍の管理事務所に入った。なんとか話が通じて、軍のジープをだしてくれた。「一人連れがいるから、乗せてくれ」と頼むと、夜中の真っ暗闇の中に道端に一人待っている彼女のところまで連れていってくれた。結局、バスから降ろされたところは、高速道路の分岐点みたいなところだったんですね。そして軍の人がカッパドキアの宿まで連れて行ってくれたけど、車で1時間近くかかった。歩いたら、朝になると言われた(笑)。

━━━なるほど。確かに大変だったけど、トルコ人も、やっぱりいい人だった(笑)。今のが一番きつい体験ですか?

 そういえば、モスクワの方が大変だったかな(笑)。モスクワは2泊して、タリンに電車で抜ける予定だった。ルーブルはもう使わないと思って、全部お酒とかに使って、夜行列車にのった。車掌がビザを見て、何か言っているけど、ロシア語なので分からない。乗客の人が通訳してくれたところによると、「夜中の12時を超えたときには、まだロシア内にいる。ビザが1日足りない。お前らはオーバーステイだ」と。じゃあ、どうすればいいのか? 「モスクワに帰れ。次の駅で降りろ」と言われて降ろされた。聞いたこともない地方都市ですよ。何時間も待たないといけないし、帰りの切符を買わないといけない。地下をくぐって切符を買うだけで3時間かかった。寝台特急でモスクワに戻った。着いたモスクワも、乗ったモスクワ駅と違う駅。12時を過ぎているから完全にオーバーステイ。ここで警察に捕まったらどうなるんだろ? お金もほとんどない。泊まるところもない。どうしよう。どうしたらロシアから出られるのか? 不法滞在にビビりながら駅で夜を過ごし、翌朝、日本の旅行社に電話をしたら、「状況はとても危険です。警察には捕まらないで下さい」と言われた。急遽、日本語を話せるロシア人を用意してくれ、その人と会えた。「クリハラさん、大丈夫です。何とか出国できるようにするから」と、言ってくれた。空港にロシアの外務省の出先機関があるから、詫び状、出国用のチバス停がケット、電車のチケットを用意して、そこで何とか1日のビザを発行してもらい、それで何とか事なきを得た。

━━━いやあ、危機でしたね。

 でも、あれ以降は、ほとんどトラブルも無かったし、何とかなるという自信みたいなものができました。ロシアでも、普通の一般の人は優しい。でも官僚というか、公務員は、まったく駄目。手続などの対応にしても、ルールじゃないものはすべて駄目。

━━━クリハラさんは、英語はぺらぺら?

 いやあ、全然できません(笑)。片言です。

━━━体験者として、世界を放浪するのにコトバの問題は?

 コトバは通じなくて当たり前。でも何とかなります。片言の英語でもできれば役には立つし、できるにこしたことはない。でもできなくても何とかなる(笑)。旅に最低限必要なのは、食べることと泊まることと移動すること。単語だけ知っていれば、何とかなる。バスとか電車のチケットを買う時、発音が悪いと通じなかったりするんで、全部、文字にしたメモを渡す。その方が早いんですよ。「何日の電車で、どこに行く」を書いて渡す。バスも乗るときに行き先だけを連呼する。それで何とかなりました。

 

所有欲がなくなった。精神的なものを大切にしたい

━━━長期旅行から帰って、価値観や世界観は変わりましたか?

 価値観が変わったのかどうかは、わかりませんが、そうであろうという予測が当たっていたなという確認作業ができましたし、これからはこう生きるべきではないかということが整理されてきた。

━━━何を確認されたのか?

 働き方とか、物質と所有に対してですね。もともと出かける前から物質主義に対して拒絶感が強かったけど、今回の旅で、明確に所有したくない、という考え方になった。

━━━なぜ?

 物質的なものより、精神的なものを充実させる方が大切。損得という考え方もなくない。楽しいか、楽しくないか。面白いか、面白くないかで、自分の人生を選択するようになった。

━━━宮本さんは、今回の旅で感じたことは?

 (宮本)日本人はすごく幸せだなということを実感して帰ってきました。今まで日本がしてきたことに感謝されたり、親切にしてくれたこともありました。例えば、セルビアでは、バスに日本の国旗とセルビアの国旗がクロスして並んでいて、「ドネーション・ジャパン」と書いてある。日本が寄付をしてる。だからか、地図を広げるだけで、人が来て、どこにいきたいんだ? オレがつれってやる、お薦めはここだとよとか、案内してくれる。

━━━日本人だからか、旅人すべてに親切かもしれない。

 どっちかわからないけど、そういう親切を体験したから、僕らは、日本に帰ったら、外国人にお返しができるだろうかということが課題になりました。日本に来た観光客が行き先が分からずに困っていたら、下手な英語を使うより、「よし、行こう」と連れて行くようになりました。それをやると、すごく小さな平和ができていくんじゃないかと思っている。彼らが国に帰り、「日本って親切な人が多いよ」って言ってもらえたら、親日感情も生まれるだろうし、平和もできるんだろうなと。

 

長期旅行から帰った後の仕事をサポートしたい

━━━帰国後、「Brali」というインターネットマガジンを創刊されていますが、これはどんなサイトですか?

 旅人(バックパッカー)が書き、旅人が読む、旅人のための旅ライフフリーペーパーマガジンです。でもまだ旅をしたことのない人に、旅の魅力を伝えて、旅に誘う目的もあります。隔月刊で出していて、現在、10号まで出しています。

━━━Braliの中には、バックパッカーのための求人サイト「Brali Job」があります。これはすごいアイデアだと思うけど。

 誰もやっていなかったら、やったに過ぎません。旅に出ない理由は、「金がない」「時間がない」「帰ってきてからの仕事ない」といったところだと思います。「金がない」「時間がない」は、自分で何とか解決できると思う。でも、最後の理由に対して、何とか手伝えないかと思ったわけです。長旅に出ている人は、みんな、会社辞めてきたという人が多かった。日本ではそうでないと出られない。そうすると、帰国後の就職の問題が控えている。外国の人は、もっと普通に長旅に出ている。

━━━バックパッカーを積極的に雇いたいスポンサーを見つけないといけない。

 いま、「チャイナ+ワン」と言われて、日本の企業は中国以外の国への進出を考えている。だが、悲しいかな、若者が旅行に出ない。いま若い人たちは、旅以外にもいろいろ楽しいことがある。しかも、海外に出るといろいろなリスクがある。言葉は通じないわ、食べ物でお腹は痛くなるわ、病気になるかもしれないし、事件にあうかもしれない。リスクを負って、わざわざ海外に行かなくても、美しい景色を見たいならテレビやパソコンで見られるから、家の中で何かをしたり、街の中で遊んでいた方がいいという人が多い。となると海外や東南アジアで頑張っている企業の人たちが、日本人を雇おうと思っても、そんな人たちばかりなら、雇うことができなくなる。じゃあ、それなら、バックパッカーといマッチングさせてもいいじゃないか。旅ってつねに選択を強いられる。へこたれない、というか、精神力がないとやれない。それでマッチングさせていけば、何とかうまく流れができないかと思っています。

━━━今後の旅行の予定は?

 8ヵ月の旅行以来は、国内旅行しか行ってません。旅番組ばかり見ている(笑)。できれば中南米に行きたい。中南米はアジアよりもさらに危険度が高い。世界で一番危ない場所のベスト50は、中南米とアフリカで占められています。旅行している間は、いつ死んでもいいくらい楽しもうと思っていた。これで死ねたら最高だな、ラッキーだなと思って(笑)。

━━━今日はとても楽しくて刺激的なお話をありがとうございました。いまの若い人たちにも聞いてほしい内容だと思います。次は、中南米旅行から帰ったときに、再取材をさせていただきますので、よろしく。

 

<取材を終えて>

同質性が強く、単一化されやすい日本の価値観から見事に脱却してユーラシア大陸を放浪したクリハラさんの話は、とてつもなく愉快で痛快でした。日本では毎年3万人もの自殺者を数えます。特に時間も希望もある若者の自殺には心が痛みます。それはクリハラさんも同じこと。 「悲しい話だけど、結局、視野が狭い。学生なら学校と自宅だけ、サラリーマンなら会社と家庭しか見ていない。他の社会を知ることで救われるところがいっぱいあるはずなんです。もったいない」。 そう、もっと視野を広げて行動すれば、新しい希望は生まれるはずだ、と逞しく生きるクリハラさんを見ていると確信できる。まだまだ聞き足りないことは山ほどある。次回あったときに、おいしいお酒でも飲みながら、ぐだぐだと話し合おう。(2013.2.4)

 

<プロフィール>

1968年東京生まれ。東京でサラリーマン生活をしていて神戸へ転勤。独立以後、自営業を営みながら海外旅行を始める。2010年6月、仕事をフェードアウトさせて、8カ月間にわたるユーラシア大陸への旅(39カ国125都市)に出かける。帰国後の2011年6月、ネットマガジン「Brari」を創刊し、日本のバックパッカーを応援し続けている。「Brari」 http://brali.net/

モロッコの西サハラにて、タリバン風に!

民族を隔てる壁は高かった. イスラエルとパレスチナ自治区をわけるための網

サッカーゴール?(モスクワ)

休暇中の若いロシア兵と酒盛り

死海で浮いてみた

フィリピンのマニラの店舗は、盗難防止のために檻の中

日本の寄付に日本の国旗

★今回の旅で行った国一覧

(行った順番)

韓国、ロシア、エストニア、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、ドイツ、ポーランド、チェコ、オーストリア、スイス、フランス、イギリス、アイルランド、ベルギー、ルクセンブルク、オランダ、スペイン、ポルトガル、モロッコ、イタリア、バチカン市国、クロアチア、スロベニア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、モンテネグロ、アルバニア、マケドニア、トルコ、シリア、ヨルダン、イスラエル、イラン、インド、マレーシア、タイ、フィリピン

クリハラ ノブユキさん

40歳過ぎに人生をリセット。ユーラシア大陸を放浪し、帰国後、支援サイトを立ち上げる

COLUMN

ミャンマーで逮捕される!

 

今回の旅での話ではありません。報道カメラマンの長井健司さんが、ミャンマーで軍隊に殺害されたのは2007年9月のことですが、私はその1、2ヵ月後にミャンマーに行きました。 現地の雰囲気は、すごくピリピリしていた。とくに一眼レフのカメラをもっているだけで、何回「ジャーナリストか?」と聞かれたことか。せっかくだから、長井さんが殺害されたところに、花を手向けようと思って、花屋から菊の花束を買って手向けた。写真を撮った。その後、ぶあーっと私服警官が湧いてでてきて、取り囲まれた。警察に連れて行かれました。 撮った写真だけは、とりあげられたくないと思ったので、カメラから撮った写真が入っているSDカードを抜いておいた。「写真を出せと言われたが、「途中で消去した。だから無い」とつっぱねた。次は「お前を撮るからここに立て。菊の花を証拠の品としてこれを持て」と言われ、手向けた花を持って写真を撮られた。結局、4時間くらい尋問や身体検査をされて釈放された。その後、ずっと尾行された。宿にも警察がきていた。 最終日に帰るときも、3、4人がきて、「昨日と今日、どういう行動をしたか、説明しろ」と言う。またかよ。軍の情報局の人間でした。そこでまた1時間くらいやられた。「飛行機が出るから」と行って逃げ出す。ビーチサンダルの底にカッターでカットして、SDカードを忍び込ませて帰ってきました。

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