波止場通信
KOBE CULTURE AND ART
盆踊りの歌詞、知ってますか?
「松坂節」と「べろべろ節」に関する一考察
地名を折り込み、目出たさ満載の「松坂節」
奇妙な歌詞と滑りのよい旋律の「べろべろ節」
■「べろべろ節」。この人を食ったタイトルに俄然興味!
豊岡旧市街で育った人間にとって、盆踊りといえば、「松坂節」と「べろべろ節」でした。子どもの頃は、「なんと間の抜けたテンポのゆったりした節であることか」としか思いませんでした。これは、ハンバーグが好きで、野菜の煮物が嫌いな子どもと同じレベルの反応をしていたに過ぎません。
年齢を重ねると、このゆったりしたテンポがだんだん心地よくなり、温泉気分に浸っている感じになります。でも歌詞の内容はよく分かりません。「松坂節」は地名らしきものが入っているらしい程度です。驚くのは「べろべろ節」です。歌詞は最初の出だしの部分以外は、まったくわかりません。しかも、なんで「べろべろ節」なのか? こんな人を食ったようなタイトルのつく歌の内容をぜひ知りたいと俄然興味がわき出したのが、2つの盆踊りの歌詞を調べようと思った動機でした。
何年か前に購入した1本のカセットテープが私の手元にあります。2つの歌が入っています。これから歌詞を拾いだそうと思って挑戦してみました。「松坂節」の約9割はヒアリングすることができましたが、確証が持てません。本当にこれで大丈夫なのだろうかと。一方の「べろべろ節」は、2割程度しかテープで聞いても分かりません。
困った。親友の松井くんに相談したところ、知り合い民謡保存会の方がおられるので、お願いしてもらえることになりました。そして、やっと歌詞の内容が明らかになりました。忙しいのにCDや資料まで揃えてくれた松井くん、そして民謡保存会の皆様、ありがとうございました。
■松坂節の歌詞です
(それ、やっとせー、やっとせ)
豊かなりける豊岡の 町をめぐりて流れゆく
(それ、やっとせー、やっとせ)
円山川は上つ世に 但馬の水を海原へ
(それ、やっとせー、やっとせ)
放ち玉いし神々の 霊験業の御恵(みめぐみ)を
(それ、やっとせー、やっとせ)
殖ゆるばかりの嬉しさは だれしもそれと三開(みひらき)の
(それ、やっとせー、やっとせ)
富士の山ほど幸福(さいわい)を 積んで渡るや京口の
(それ、やっとせー、やっとせ)
橋を渡りて新町や 桜みよなら旭道
(それ、やっとせー、やっとせ)
小尾崎こえて豊田町 万(よろず)宵田の橋こえて
(それ、やっとせー、やっとせ)
返すたもとの涼しさは いつもここらに立の橋
(それ、やっとせー、やっとせ)
元町すぎて円山の 新地にならぶかけあんど
(それ、やっとせー、やっとせ)
堀川橋の帰り舟 眺めてゆかしき花園に
(それ、やっとせー、やっとせ)
柳行李の久保町を いつしか過ぎて色町の
(それ、やっとせー、やっとせ)
主のよわいを亀山とおり 稲荷様の金山(こんざん)へ
(それ、やっとせー、やっとせ)
本懐とげし義士の墓 名は末代と国々に
(それ、やっとせー、やっとせ)
柳細工と諸共に 広まりゆくぞめでたけれ
(それ、やっとせー、やっとせ)
■豊岡での暮らしが目出たく感じられる歌詞
ちなみに「松坂節」は、『豊岡市史』によれば、「その源流は伊勢踊り(松坂踊)で、これがかなり古い時期に直接(伊勢参り)か、あるいは間接(流行の波に乗って、京都・丹後を経て)に当地方に伝わり、後に京音頭の影響を受けて変化したのであろうと推測することができる」と書かれています。 これはリズムとメロディに関する影響であり、歌詞は豊岡オリジナルになっています。
まず円山川によって豊かな土地に暮らすことができることを神に感謝しています。「富士の山ほど幸福」とは、いかにも目出度い感じがします。続いて、京橋、新町、旭道、小尾崎、豊田町、万宵田、立の橋、元町、円山、堀川橋、花園、久保町、亀山とおり‥と地名を巧みに織り込みながら、風情のある町の魅力を紹介しています。そして最後に、義士の墓、柳細工と、豊岡名物をあげて目出たさを強調しています。
こうしてみると、なかなか良くできた歌詞です。でも実際の盆踊りでは、半分も意味が分からないのは残念な気もしますし、音頭だからそれでいいような気もします。 しかし亀山通りが色町だったとは知りませんでした。どんな色町だったのでしょうか。どなたか証拠となるような昔の写真でもあれば、ぜひ見せてください。
■べろべろ節の歌詞です
べろや べろべろや べろべろやべろや
べろべろや べろやべろやえ
べろの変わりぶりや 面白い節で
おやじ出て見やれ 孫つれて
そろたよーもそろた 踊り子がそろふた
揃い浴衣で踊り子が
豊岡名産ヤーレ 本場でとおる
やなぎ行李に やなぎ籠
笹や松の葉のようにヤーレ 狭い気を持つな
広い芭蕉葉の気を持ちやれ
おどりおどるならヤーレ 品よくおどれ
品のよいのを 嫁にとれ
おどり疲れりや 立野の橋にヤーレ
闇にあの子の ほおかむり
■自ら変わった音頭だと認識。女性の品定めも…。
この「べろべろ節」、初めて聞く人にはまことに奇妙に響くそうです。それは、そうでしょう。何度も聞いている人間だって、ふと考えると、やはり変ですから。まったく意味の分からない「べーろべーろ」という句をくりかえすだけで、一つの歌詞をなすようなものは、他にあまり例がないそうです。 さらに、音頭の調子も、まことに調子がいい。ついつられて歌い出したくなる滑りの良い旋律です。酔っぱらって、鼻歌気分で歌っている感じとでもいいましょうか。
さて、肝心の歌詞の方ですが、やっと全貌が分かりました。そしていろいろな発見がありました。 歌詞の中で、「べろの変わりぶりや 面白い節で」とあります。この言葉から、歌っている側も、変わった音頭ですよ、と認識していることがわかります。そして、おやじも孫もみんな出ておいで、と誘っています。 面白いのが、嫁に取るなら、品よく踊る娘を取りなさい、と教えていています。大勢の娘が集まる盆踊りの場で品定めをするわけですね。あくまで男の立場からですが…。これに女性の立場からの台詞もあれば、もっと面白くなるでしょう。
■驚きの別バージョン
べろや べろべろや べろべろやべろやべろや
べろべろや また べろや
月が出たヤーレ 但馬のナア富士に
踊る姿が 蓼川に
豊岡名産ヤーレ 本場でナア通る
柳行李に 柳籠
豊岡斜線はヤーレ 銅像のナア通り
東や愛宕に 西や金山
主は亀山ヤーレ わたしゃナア鶴山で
間の蓼川 ままならぬエー
「べろべろ節」の歌詞に、別バージョンがありました。それが以上の内容です。「蓼川」というのは、「円山川」のことです。 この歌詞をみて、驚きました。「豊岡斜線はヤーレ 銅像のナア通り」 これは「寿ロータリーの秘密」で紹介した、ブロードウェイラインであり、中江種造の銅像に他なりません。大正末期から昭和初期に完成した2つのものが、歌詞に盛り込まれている所から見ると、こちら方が、後からできたものでしょう。 さらにこの他にも2つの混在系や、他の歌詞でも歌われています。時代とともに歌詞の内容が変わるあたりも、融通無碍な雰囲気ただよう「べろぶろ節」に相応しいような気もします。
■なぜべろべろ節なのか?
まず私が考えたのは(誰が考えても同じかもしれませんが)、ベロとは舌のことであり、「あっかんべー」と、馬鹿にした様子を描いたもの。あるいは、祭りなのでお酒を飲んで、ベロベロになっている様子を歌っているもの。 いずれにしても、生真面目な但馬の人間が、ちょっと羽目を外して、無礼講というか、アナーキーな状態を楽しんでいるのではないか、と推測したわけです。
さて、実際はどうか。これも、『豊岡市史』の助けを借りねば分かりません。ベロベロの起こりについは、従来からいろいろな説があるようです。
①梵語の毘る沙那仏から出た語で、仏を称えることばであるという説。
②ベロは舌を表す俗語であるから、子どもが舌を出してする遊びから出たとする説。
③この地方に近年まで残っていた「ベロベロ神」の俗信から出たとする説。(注釈A)
④酒垂神社の故事に端を発するという説。(注釈B)⑤古代の農民が神を呼び出すために集団で唱えた一種の呪文の名残りであろう(石田松蔵『但馬の新しい歴史』)
これらに共通して言えることは、「神の意志を聞こうとする農民の願望の歌であり、その名残が盆踊りの中に生きて、今に伝えられているのではないか」と説明しています。 御神酒でも飲んで神と対話し、神様にお願いしようとしたのではないでしょうか。やはり、これは酔っぱらいの音頭ですね。だから、調子が良いのでしょう。生真面目な但馬の風土の中で、こうした音頭が生まれたことはとても不思議あり、その意味でも貴重な文化遺産だと思います。(2010.12.05)
(注釈A)
一昔前まで子どもたちが、箸の先を折り曲げて両手でぐるぐる回し、「ベロベロの神さんは正直な神さんで、お好きな方へとおもむきやる」と歌って、箸の先が向いた者に当てるという遊びが原拠だとする。
(注釈B)
昔、干ばつの時、酒垂神社から農民が雨乞いに小田井神社で行った神事で、中央にベ(酒壺)とロ(台)をすえ、「イッツ、ベーロー」と唱えながら円陣を作り踊り回ったのが起源だとする(『耳ぶくろ』)