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舞鶴へまいる

 

軍港・引揚記念館・赤レンガ建築

 以前から気になり、行きたかった町の一つが舞鶴である。その舞鶴が、マスコミに登場するようになった。舞鶴引揚記念館が、このほどユネスコ世界記憶遺産登録に決定したからだ。

 調べてみると、神戸から舞鶴まで直行バスで2時間、2000円ほどで行けると分かり、観光客が押し寄せる前に行こうと決める。秋のからっとした空気が気持ちよい10月24日(土)、相方を連れて舞鶴へ。

 

■海軍ゆかりの港めぐり遊覧船

 東舞鶴駅に着いて、観光窓口で資料をもらい、舞鶴港まで歩く。まずは港めぐりだ。湾内には自衛隊の艦船がいくつも見える。ご存知のように、ここは旧海軍の軍港だったところで、いまは海上自衛隊の基地だ。30分前に遊覧船に乗ると、すでにほぼ満員。仕方がないので立つことにする。船が動きだし、湾内を進みだす。船から見える船や建物のガイドがあるが、エンジン音がうるさく、スピーカーが壊れていて聴きにくい。

 港内には、掃海艇、護衛艦、イージス艦、航空母艦など自衛艦の数が多い。軍事マニア、戦艦マニアには、たまらない風景だろう。分かったのは、掃海艇は、機雷除去を目的としているので木造であることくらいだ。後は聴いたがキレイに忘れた。しかし戦艦の色はほぼグレーであることに改めて気付く。霧でも出れば、たちまち姿が消えてしまう。敵に見つからないようにするためなんだろうね。間違ってもトラック野郎のように、満艦飾にすることはない。

 ちなみに舞鶴は、横須賀、呉、佐世保を含めた4大軍港の一つ。赤れんがパークでは、「旧軍港四市グルメ対決」をやっていたが、どこも海軍カレーと肉じゃがなのには笑った。旧海軍から生まれた得意メニューだったのだろう。

 

■赤れんが博物館

 次は赤れんが博物館(1号棟)へ。ここは元海軍の魚雷の倉庫を転用したもの。鉄骨構造のれんが建築物としては、日本に現存する最古級のものらしい。ここでれんがについて学ぶ。まさに最高の環境である。

 エジプトの日干しれんが、メソポタミアのウル第3王朝のれんが、なんかも並んでいるけど、本物なんだろうか。この他にも、ホフマン窯コーナーや、日本のれんがの歩み、耐火れんがコーナーなど、まさにれんがづくし。れんがマニアなら終日いても退屈しないだろう。でもれんがマニアっているのかな? いやきっといる。どんなモノにもマニアはいる、と確信している。

 忘れるところだった。博物館内では、灯台記念日企画展をやっており、灯台の写真とペーパークラフトを展示。何と、ペーパークラフトを無料でいただいた(完成後、ここで紹介する予定)。

 

 

■舞鶴引揚記念館

 そして今回、ぜひとも行きたかった舞鶴引揚記念館へ。終戦時、海外に残された日本人は約660万人いた。そこから日本への引揚という日本民族大移動が始まった。舞鶴港は引揚指定港の一つであり、旧ソ連や中国など、大陸からの引揚者が多く、13年間に66万4531人の引揚者と1万6269柱の遺骨を受け入れた。

 さほど大きな建物ではなく、展示物の数も多くはないが、シベリアでの抑留生活を再現したもの、遺留品、写真など、いずれも見る者の心の奥底までズシリと届く。中でも羽根田光雄さんが描いた抑留生活のイラストは、抑留者の生活ぶりや気持ちが手に取るように分かる。しかし何と理不尽な。抑留者たちの無念と絶望を考えると、言葉を失うほかない。

 

■赤れんが倉庫群

 再び、舞鶴港に戻り、赤れんが倉庫群、舞鶴市政記念館(2号棟)、まいづる知恵蔵(3号棟)、赤れんが工房(4号棟)、赤れんがイベントホール(5号棟)のすべてを巡る。軍港時代の倉庫が、イベントホール、レストラン、カフェ、博物館、展示スペース等としてうまく活用されている。ありきたりな土産物になっていないのがいい。でも欲を言えば、もっと大胆なクリエイティブパワーを発揮してほしい。将来的には、アート・イン・レジデンスとして、アーティストに住んでもらい、舞鶴に相応しい新しいアートを創出するのがいいような気がした。

 いま利用されている4つの倉庫はいずれも大正年代のものだが、隣接して、赤れんがロードに建つ4棟は明治年代のもので、蔦に覆われ古色さが一段と深まり、デザインも微妙に異なる。いまは再利用されず、ひっそりと佇んでいる。赤れんがロードは、雑草と土砂で覆われていた道を掘り起こしたところ現れたそうだ。

 舞鶴市には、いまいる東舞鶴エリアの他、全市に多くの赤れんが建築が残っており、たぶん日本で一番多いエリアではないだろうか。

 

 しかし舞鶴には、際立った特徴が、ちょっと挙げただけでも、軍港、引揚記念館、赤レンガ建築と3つもある。これらの遺産をさらにどう活用するのだろうか。次回は、田辺藩の城下町だった西舞鶴エリアをめぐろうか。そんなことを考えながら、駅前の焼き鳥屋でお腹を膨らませて帰途についた。

(2015年10月24日旅行。11月13日記)

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