波止場通信
KOBE CULTURE AND ART
前畑洋平さん
(NPO法人 J-heritage 理事長)
使命感と行動力を備えた30代が
五感で感じるヘリテージツアーを主催!
廃墟への興味から始まった
━━━小学生の頃から廃墟に興味を持っていたそうですね。
『ぼくらの七日間戦争』という映画を見たのがきっかけでした。親から「勉強しろ」と言われた子どもたちがそれに反発して廃墟の工場にたてこもり、大人と戦うという映画なんです。それに憧れてぼくも近所の仲間を集めて、廃墟の工場にはいって、基地をつくっていました。
━━━それをきっかけに廃墟を巡りだした?
中学、高校の頃は、関西圏の廃墟をまわり、車の免許をとった20歳代からは、日本全国の廃墟を巡りました。
━━━廃墟のどこが魅力的ですか?
外観もおどろおどろしかったりしますが、中に入ったらもっと凄い。例えば、鉱山だったら、見たこともないような巨大装置が音も立てずに眠っている。かつては轟音が響いていたのに、今は音も立てずに静かに佇んでいる。あるいは、廃校になった学校に行ったら、かつては賑やかな教室も、いまは動いているものと言えば、窓から入る自然光に照らされた埃だけなんですよ。静寂とか匂いとか、非日常的な空間や雰囲気がすごく好きでした。
関心は産業遺産へ。そしてNPO設立へ
━━━そこから産業遺産へと関心が広がったのは?
20代後半ですね。とくに影響を受けたのは、まず軍艦島、そして旧長崎刑務所、足尾銅山。そして最後の極めつけが、瀬戸内海にある四阪島製錬所です。
━━━これらの産業遺産から、どんなインパクを受けたのですか?
軍艦島以外は、いつ壊されてもおかしくない。足尾銅山も、通洞地区の選鉱場、硫酸工場、製錬所と、見どころが3つありましたが、硫酸工場も製錬所も壊されてしまった。通洞地区の選鉱場は、ゆくゆく見せるという話ですが、今のところ分からない。正直、僕らが見たいと思ったインパクのあるものが失われてしまっている。それはすごい損失やなと思って。僕は壊される前に行っているけど、このままやったらあかんなという気持ちになった。それがNPOを作るきっかになった。
━━━ツアーを組み始めたのはいつから?
仲間内のツアーは、以前からやっていました。だからノウハウはあった。ここ見せたら喜んでもらえるなとか、回り方などは特別に意識しなくてもできるようになっていました。その延長で、NPOにしたら、もっといろんな人に見てもらえるのかなと。そして写真を撮って帰るだけでなく、現地の人たちと交流してもらいたいと思いました。それで30歳の頃に、NPO法人 J-heritageを立ち上げたわけです。
━━━NPO設立のノウハウは?
西宮にNPOを支援するNPOがありますし、兵庫県庁にもNPOの窓口があります。作る前に両方に相談に行くと、両方から「むちゃくちゃ面白い、絶対に作れ!」と言われました。
見せてもらうための承諾を得るのが大変!
━━━NPOになってから活動はやりやすくなりましたか?
全然違いますね。あくまで趣味で見せてくれ!という場合と、NPOまで作っていう場合の言葉の重みが違うようです。話しやすくなったし、行政側も「力を貸しやすくなった」と言ってくれます。管理している団体も、見てほしいという気持ちがあるけど、管理している以上、管理責任があるので、怪我されたら困るし、一つの団体に許したら、みんな見せてくれと言ってくるから切りがなくなる。でもNPOなら数も少ないし、見せても大丈夫かなというのはある。
━━━継続するためには、資金的な面も重要だと思うのですが
いま僕も兼業でやっているし、定期的にお金がはいってくる仕組みを作れていない状態です。単発で利益を得た分は、手伝ってくれたスタッフへの支払いや、次の運営資金のために徐々に残していくようにはしています。
━━━続けていくのは大変ですからね
ほんとうに大変です。NPOもできては消え、できては消えていく宇宙の惑星みたいなもの。みんなビジョンはしっかりしているけど、ビジネスに持っていく前に辞めていると思う。
━━━ヘリテージ・ツアーで大変なところは?
NPOにして楽になったとはいうものの、やはり見せてもらうための承諾を得るまでは大変ですね。自分たちは見せてもらえた。じゃ、ツアーを組んでより多くの人に見てもらおうとすれば、先方からNGが出ることが多かったですね。
保存を決めるのは地元の人たち。僕たちは旅する団体
━━━離れた場所にある産業遺産をツアーする時の交渉方法は?
基本的には自分でいきなり直接の交渉はあまりしないようにしています。地元で産業遺産として活かしたい、残したいという人たちと手を組み、連携することが大切だと思っています。最終的に見学した産業遺産をどうするかは、その建物に係わる人たち。ステイクホルダーと言われているんですけど、利害関係者の人たちが、積極的に関わっていかないと駄目なんで。
━━━廃墟や産業遺産を残したいという団体が数多くある?
けっこうありますね。でも私たちは旅をする団体で、保存する団体ではありません。保存を訴える地元の人たちのお手伝いはしますが、メインではやりません。
━━━活動のやり甲斐は?
3つの柱を私たちは用意しています。敬意、誇り、共有の3つです。敬意というのは、建物に携わっている人たち、そこに住んでいる人たちに話をきかせてもらったときに、その人たちに敬意を払うことです。そのことで地域の人たちは、誇りをもつことができるし、いい関係ができると思います。同時に産業遺産にまつわる、正の遺産も負の遺産もしっかり見極めたうえで価値観を共有し、みんなで手を組んで先のことを考えていく。ここまでいけば僕たちにとってもやり甲斐があります。
━━━足尾銅山は公害で有名ですが、負の遺産もきちんと共有することで、今後に生かそうということですね。
あそこでできた日本初の技術がたくさんあります。商業用の水力発電所が日本で初めてできたのも足尾銅山なんです。産業遺産としての価値は計り知れません。
解体が決まる前に、声をあげるきっかけを作りたい
━━━前畑さんが主催した奈良少年刑務所には私も行きました。
奈良少年刑務所は、廃墟ではなくて、現役バリバリの、近代化遺産です。僕が今一石を投じたいと思っていることは、壊されることがきまってから保存しろと言うじゃないですか。そうではなくて、もっと先に言おうと。奈良少年刑務所は、壊される前に先に動きたいなと思って活動をしています。
━━━私の地元にあった旧公立豊岡病院の解体が悔しくて、もっと早く前畑さんと知り合っていればと思いますね。
あの病院は、世界初の外来の通院型の円形病棟なんですよ。箱がでかいから、再利用の仕方があったはずです。物議を醸す前に壊されてしまった感じですね。ただ一般的にいえば、戦後の建物、つまり現代遺産に価値を見出すのがまだまだ難しいという側面もあります。レンガはレトロで、残そうという声が上がりやすいけど、鉄筋コンクリートではなかなか上がらない。だから啓蒙しないと難しいでしょうね。こんなすごい価値があるんですよ、ということを言ってもらって、五感で感じてもらって、あとは、地元の人たちがこれ残したら使えるのではないかと思ってもらったらいいなと。
━━━今後の目標は?
中学生くらいを対象にした遠足に、産業遺産を組み込みたいですね。感受性豊かな世代に見てもらいたい。「遠足」ではなくて、もう少し柔らかく「探検」にしてもいいかもしれません。鉱山というと、インディージョーンズのイメージが強いですからね。最終的に残すためには、そこに意味とか価値を見出して遺産として残さないと駄目ですが、それを判断するのはあくまでも地元の人なんですね。僕らは旅する団体として産業遺産としての価値を考える選択肢を増やしたいと思っています。
━━━今日は、他では聞けない貴重なお話、ありがとうございました。
(2011.07.25)
前畑洋平さん
1978年11月生まれ。京都府宇治市出身。小学生時代より廃墟に興味を持ち、日本全国の廃墟を巡る。やがて近代化産業遺産へと軸足を移し、産業遺産をめぐるツアーを主催。2009年12月にはNPO法人となり、さらに活動の幅を広げている。
プロローグ
若い理事長は、とんでもなく情熱的だった
2010年4月10日、奈良少年刑務所ツアーをはじめ奈良の近代化遺産を巡るツアーに参加したときが、前畑さんを知るきっかけだった。理事長という肩書きに似つかわしくないほど若々しいな、というのが最初の印象だった。
以後、生野銀山ヘリテージバスツアー(3.11の東北大震災で中止)の案内をいただいたり、NPO法人芸法とのコラボレーションで、アートと廃墟について熱く語る姿を見て、これは本物だと確信して取材を申し込んだところ快諾。
古いものを何でも捨てて顧みない日本人にとって、価値ある産業遺産の重要性を訴える前畑さんの話にぜひとも耳を傾けていただきたい。
旧長崎刑務所
解体されてしまった明治五大監獄の一つ、旧長崎刑務所。完全な状態で残る五大監獄は奈良少年刑務所のみ。
明延鉱山
我が国最大級の錫鉱山だったが、1987年に閉山。現在は産業遺産として坑道・一円電車を見学することができる。
志免炭鉱縦坑櫓
解体の危機に瀕したが、保存運動が起き重要文化財に指定された。九州では唯一のワインディングタワー式の竪坑櫓だ。
軍艦島遠
景中ノ島(無人島)より、軍艦島を望む。当時、軍艦島に住む人たちの憩いの場である公園や展望台があった島だ。
根岸競馬場
横浜ヘリテージにて。横浜には煉瓦倉庫や根岸競馬場など、多くの近代化遺産が残る。
旧志津川発電所
宇治川へリテージにて。天ケ瀬ダムの少し下流にあり、現在は研究所として使われている。苔むした風情ある建物。
エピローグ
もっと早く前畑さんと知り合っておけば‥
話を聞くと、改めて若い前畑さんの廃墟および近代化産業遺産に対する見識、行動力、コミュニケーション力などに感心する。今後、深い付き合いになりそうだ。それにつけても、公立豊岡市民病院の解体(2006年11月に解体)は残念無念。子どもの頃から利用していた病院で、独特の空間に強烈な印象を受けたものだ。もっと早く前畑さんに知りあっていればの感を一層強くした。
世界初の円形病棟が特徴的な旧公立豊岡病院
過去に行った
主なヘリテージツアー
・鉱石の道バスツアー
・北海道ヘリテージ
・瀬戸海ヘリテージ
・阪奈地下空間ヘリテージ
・神戸近代建築ヘリテージ
・奈良少年刑務所見学会
・宇治川ヘリテージ
(2011年7月末現在)