揚屋建築
京都に用事があったので、ついでにかねてより気になっていた、島原の角屋を見学してきた。入って驚いたのは、予想をはるかに上回る規模であり、その美しさだった。説明パンフには、「旧花街・島原開設当初から残る揚屋建築の唯一の遺構(重文)」とある。揚屋とは、現在の料亭にあたるもので、置屋から太夫や芸妓を呼んで、宴会を催した。また和歌俳諧などの文芸活動も盛んで、文化サロン的な役目も果たしていたらしい。
江戸時代に隆盛を極めた島原が衰退した理由が何とも興味深い。明治に入り、歓楽街の中心地が、立地的に不便な島原から祇園に移っていった。神戸においても、新開地から元町、そして三ノ宮と中心地が東へ移動した歴史に何やら似ているような気もする。