熱湯との闘いの後の疑問符
いま高校野球が開催され、熱闘!甲子園なんてやっているが、こちらは数日前、豊岡に帰省したさい、銭湯に入り、熱湯との闘いを余儀なくされた。
最初は、城崎温泉に行こうと思ったのだが、どうも風邪気味らしい。ここは無理をせずに、近くの銭湯に切り替える。京極湯は、豊岡に唯一残っている貴重な銭湯だ。ここは幼稚園以来だから、ウン十年ぶりになる。中に入ると、老人が一人、スローモーションで服を着ている。他は、番台に眠りこけたお婆さんがいるだけだ。お爺さんが出ると、客は私一人。さっそく湯船に入ろうとすると、余りの熱さに悲鳴を上げた。上げても一人だから誰にも聞かれない。お湯に触れた部分の肌は赤くなっている。どうしようか。諦めてしまうのは簡単だか、しゃくに触る。意地でも入ろうと決意し、数ミリずつ湯船につけていく。お湯を揺らすと熱さが増すから、慎重にゆるりと入れる。
こんな感じでやっと入った。湯船から出たときは、体は真っ赤だが、達成感と征服感に満たされていた。帰りに番台のお婆さんに、温度を聞いてみた。すると、受話器をもって湯沸かし番とおぼしき人物と話をした後、「42度です」と教えてくれた。「それって、家のお風呂の温度と同じですよ。それよりもっと熱かった」と私は反論する。だが、お婆さんは平然と答えた。「お風呂やの42度と家の42度は違いますよ。冬は、お風呂を出てから湯冷めしないように、熱くしているんです」
お婆さんの説は、正しいのだろうか? 大いなる疑問符を抱えながら、私は家路についた。誰か本当のことを教えて。